会場内は二兎社のお客さんとおぼしき年配の方が多かった。
みんな明るく笑っていたが、自分はもう、痛くて痛くて、とても笑うどころではなかった。登場人物のみんながみんな「自由ではない」。その不自由さが痛くてたまらなかった。
悲しくて悲しくて泣きそうになった。
自分の高校はもちろん公立だったけど、田舎だったし、10年以上も前の話なので、こういった「国歌斉唱」の是非について、リアルタイムで考えたことは無かった。
大学の時はオケに所属していたので伴奏する側だったが、その時も別に深い意味なんて全く考えず、国家の「君」というのが天皇を指していることすら自覚が無く、「歌えと言われたから歌う」というそういう状態だった。
国家を尊敬してもいないし、別にどうでもいいっていうか。自分にとっては自分の位置が一番重要で、その周りのことは全く関係なかったし、そんなことに目をやる余裕も無かったし。
というわけで、この問題に触れたのはかなり最近で、正直なんでこんなに問題になっているのかが、理解不能だった。
歌っても歌わなくてもいいじゃん、別に。
尊敬してなくても、していてもいいじゃん、それが思想の自由じゃないのか?これがこんな風に問題視されることが、一番問題じゃないのかと、思った。
「歌え」という方も「歌わない」という方も、なんでそんなに我をはるのか。それゆえに自分が不自由になっているのが分からないのかなあ。。
拝島はミチルに「『長いものに巻かれろ』ですか」という場面があるが、長いものに巻かれてもいい、という自由さって、わたしは貴重だと思うんだよなー。
そういった意味で一番共感出来たのはミチルだったし、彼女が優柔不断とも思えるほど、そこで起こるいろんなことに柔軟に対応していることは、救いだったです。
最後に拝島が眼鏡を置いたとき、やっとこの人は自由な選択ができるようになったのだな、とホッとした。
<あらすじ>
元シャンソン歌手のミチルはシャンソン歌手としての夢破れ、音楽講師としてとある公立高校に就職した。
卒業式本番の直前、コーヒーを服にこぼしてしまい、その時にコンタクトを片方無くしてしまう。
もともとピアノが得意ではなかったミチルは同僚の社会科教師の拝島から眼鏡を借りようとするが、彼は「君が代」反対派であり、国家を伴奏するミチルには眼鏡は貸せないと言う。
校長は必死に拝島に国家を起立して斉唱してくれと頼むがその頼みは聞いてもらえない。
そんな時、学校を定年退職した不起立派の教師がビラをまきに学校へやってくる。警察を動員し逮捕するが、彼が配っていたのは校長がかつて主張した「内心の自由」を書いたものだった。
校長は屋上へ上り「一人でも不起立者が出た場合にはここから飛び降りる。」と言う。判断を迫られる拝島。
そしてミチルもそんな拝島の姿を見ながら、自分が国家を伴奏する為だけにここに就職していると知る。彼女もまた伴奏をやることが正しいことなのかどうか迷っていた。
公演:二兎社「歌わせたい男たち」
場所:ベニサン・ピット
日程:10月8日~11月13日
作・演出:永井愛
出演:戸田恵子・大谷亮介・小山萌子・中上雅巳・近藤芳正
座席:F列真ん中あたり 5,000円
上演時間:2時間
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